彼らはいかに知らないかを知り、
解り得ないかに気付くことで
やがて全てを受け入れる
原題:「la stanza del figlio」
英題:「THE SON'S ROOM」
監督・脚本・主演:ナンニ・モレッティ
共同脚本:ハイドラン・シュリーフ
出演:ラウラ・モランテ、ジャスミン・トリンカ、ジュゼッペ・サンフェリーチェ、ソフィア・ビジリア
本編:99分
息子の部屋
Story
ジョバンニ(ナンニ・モレッティ)はイタリアの港町に住む精神分析医。出版社で働く妻パオラ(ラウラ・モランテ)、バスケットボールに夢中の娘イレーネ(ジャスミン・トリンカ),それに息子のアンドレア(ジュゼッペ・サンフィリーチェ)と平凡だが幸せに暮らしていた。彼はいつものように町をジョギングし、帰宅すると息子の学校から呼び出しを受ける。校長室に入るとそこには校長と息子アンドレアの姿、学校の備品であるアンモナイトが息子と友人によって盗まれたというのだ。否定する息子、ジョバンニは彼の言葉を信じるが一週間の停学処分を受ける。息子の友達の家を尋ねその親たちと事情を訊く。息子を信じているが、少し様子がおかしいとも感じているジョバンニ。そして日曜日、家族で出かけようとしているところにジョバンニの患者から電話がかかり、どうしても急ぎで往診して欲しいと言われ、気が進まないが患者の下へ向かう。家族はばらばらに行動する。息子アンドレアは、友達と海にダイビングに出かけ、そして帰らぬ人となる。
残された彼は、妻、娘とともに、悲しみと後悔にさいなまれる。そんなある日、息子に、一通の手紙が届く。その手紙から夏休みのキャンプで知り合ったガールフレンドがいたことがわかる。子供だとばかり思っていた息子が、家族の知らないところで、恋をしていたことを知る。そのガールフレンドに手紙を送り、息子の死と会って話をしたい意思を伝えるが断りを受ける。しかし、しばらくしてから突然自宅を訪れたガールフレンドと話し、自分たちが息子のことを知らなかったことに気付かされる。
僕の感想は↓
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※色々と書きますが、極めてまとまりの悪い分になってます。
観てない人にはもちろん、観た人にも意味の分からない分になっている気がします。
2001年、カンヌ映画祭でパルムドール受賞作品。
物凄く淡々とした映画です。宣伝の仕方では号泣必至の作りっぽいですが、そんなこともありません。イタリアということから想像するラテン系の明るさ、陽気さはない。ま、イタリア映画って別に陽気ってわけでもない気がいたしますが。
どうもどこで粗筋を読んでも、話の序盤で息子を失ってそこから話が始まるような印象を受けますが、さにあらず。丁寧に息子と父親、四人家族の関係を描いてから話が動き出す。
家族との関わりを通して息子アンドレアの人となりを描くことで、家族の知らなかった彼が初めて描ける。
また、家族は息子の事を知らなかった面を知る話のようでいて、そう単純ではない。彼らは「知らなかった事実を知る」のであり、「知らなかった息子の姿を知る」のとは違うと受け取れた。結果的には「知り得ないという真理」に辿り着いてしまったことで初めて全てを受け入れられるのだ。
冷静な精神分析医は、彼を苛立たせる患者を前に落ち着いた態度を崩さない。彼はあくまでも患者を客観的に距離を置いて診ようとする。そして、目の前の患者のことを分かったものとして分析をし、助言を与える。患者たちはそういう彼の態度を見抜き、彼の冷たさを指摘する。何事に対しても冷静であろうとする医者の姿は人間味に乏しく映る。息子の死を通し、彼は患者との距離感を失い、冷静な分析ができなくなる。彼自身はプロの分析医としての資質を失ったと考えるが、息子の死を通して初めて人間としてのバランスを手に入れた様に思える。話の後に、彼が職場に戻れるのであれば、そこから本当の精神分析医のキャリアが始まるのではないか。
こう書いていて気付くが、「父親」の話として語られることがほとんどの作品だと思うが、案外「精神分析医」としての描かれ方が重要だと思える。そう読まないと、多くの時間を占める患者との会話のシーンがともすれば退屈なものになってしまうのではないだろうか。
アンドレアの死は、「死んだ」という明示的な言葉を極力排した形でその事実を観客に知らしめる。もっとも別にそれをぼかして分かりにくくしているわけではないが、最初に報せを受ける父親、そこから家族に伝わっていく事実がこの作品らしく、どこか淡々とした描写を通して描かれていく。台詞は少なく、閉じられていく棺を冷静なカメラは写し続ける。また静かな部屋で嗚咽を上げる母親、賑やかな街の中、声も出さず、涙を溜めても流さない父親の静かな悲しみを延々と見せ付ける。親の前で悲しむ姿を見せない気丈な娘もまた、一人涙を流す。家族三人はともに悲しみ、ともに前を向くのではなく、それぞれがそれぞれの悲しみを持つ。
普通に作ると、息子の死と、彼の部屋を通して家族は息子のことを知らなかったことを自覚する。そして彼の真実を知ったことで家族の絆を強めていく。みたいな話になりそうなものだけど、全然そんなことはない。結果的に色んなものがより分からなくなり、家族の先も不透明な状態で話は幕を閉じる。リアルだ。
別に良い話なわけでもなければ、登場人物が良い人たちなわけでもない。恐らくは良い家族ではあるが、それが周囲に対しても同様かと言えばそうでもない。そこが素直に感動できない要素にもなりうれば、共感しうる要素にもなる。特典映像で母親パオラ役のラウラ・モランテて繰り返しこの作品を「誠実」に作られたと語る。それは登場人物の誠実さではなく、極めて現実的に丁寧に作り込まれたことを指す。それぞれが何かに「誠実」さを持とうとする家族の人々はすなわち「誠実」に生きられていない部分を持つ。そこに嘘のない描写があり、カメラは淡々と映す。あぁ、リアル。
タイトルの話。
タイトルの意味は全部一緒です。英題も邦題もまんま直訳です。イタリア語の原題は英語にすれば「the room of (the)son」ですかね。というわけで、ひねりはなし。なので、邦題も良いと思うんですが、「息子の部屋」がストーリーの中で特別大きい存在であるかというとそうでもないかな。意味で考えれば「息子の恋人」の方が重要に思える。
映画をたくさんご覧になっていてスゴイです。
確かにこの映画は淡々としていて何となく陰気な空気が全体を支配していますが、その分リアルですよね。
淡々とした描き方が過剰な演出よりも胸に迫ります。
結果的な好きか嫌いかは別にして、話の読み取り方は近いものを感じました。
確かに、少しのユーモアを交えつつも、全体を支配する空気は陰気なものが
ありますよね。
TBありがとうございました。
この作品を観たのは随分前になるのですが、なつきさんのとても詳しい解説と感想を読み、見終わった後のしんみり感が思い起こされました。
読んで頂けて嬉しいです。
他の映画に比べても整理できてないレビューだと思います。
今見ると、長〜いの書いてますね、僕。(^^;